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2007年7月29日 (日)

パートII第6回 NGO熱帯森林保護団体代表 南研子さん

アマゾンから見える地球の危機
今、私たちにできることは何なのか

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長く続いた自分探し時代
最初に私のキャリアのことを簡単に。高校は公立だったが、その時の教師、片桐ユズルという人に影響を受け、美術大学に進んだ。美大では油絵を勉強した。私は今年還暦を迎えるが、学生の頃は学生運動が盛んな時期で、女子ばかりの美大ではあっても当時ノンポリでいるということにも少しは頑張らなければならないような時代だった。多少なりにも世の中に対する興味はあったし、社会に「モノ申したい」という気分も持っていた。四年の時に時間があったので、アルバイトという事で、NHKの「ひょっこりひょうたん島」、「お母さんと一緒」、「みんなの科学」などの美術制作にかかわった。確かにお金にはなったのだけど、夢を売る仕事のはずが、その内側は使い捨ての消費の世界で、それにうんざりしてやめた。生きるとは?消費とは?というようなことに疑問を抱くようになった。丁度その頃結婚し、自給自足の生活に憧れ、八王子の田舎の築200年の家に住んだりもした。つまり、長らく自分探しをしていたといえる。私は何でこの星に生まれてきたのだろうか。一体どうやって生きていったらよいのだろうか。あまりに悩みすぎて、結婚と同時に自殺未遂のようなこともした。若さゆえとはいえ、一通りのことをいろいろとした。八王子で生活は、家が家事で焼けたと同時に終わりになった。

ラオーニとの出会い、そしてアマゾンへ
そうこうしているうちに、41歳の時、イギリスのスティングというロック歌手が、アマゾン先住民カヤポ族の長老ラオーニと共に、「アマゾンを守ろう」という世界ツアーの一環で日本に来た。友達に頼まれるままにボランティアで、スティング一行の手伝いをした。彼らが帰る時、カヤポ族の長老、ラオーニと握手をした。その時、アマゾンの風を背中に感じた。見たこともないアマゾンの風景を感じさせるほど、私に伝えた彼のエネルギーはもの凄く、これはいったい何なのだと思った。こんな経験は初めてだった。これをきっかけにアマゾン支援に入っていったわけだが、私たち先進国の人びとが享受している便利で快適な生活が、一方でアマゾンの生態を壊しているというスティングやラオーニの話に心を痛めたこともあるけれども、ラオーニが与えてくれたあのもの凄いエネルギーはいったい何なのだ、それを自分の中で確認したいという思いもあって、この仕事を始めたという面もある。

そして1989年にNGOを立ち上げて、以来、アマゾン支援を行っているが「いいことをしている」とは全然思っていない。私は先進国で生まれ、アマゾンの状況を知ったものの責任だと思って活動を行っている。約18年間で、21回この地に入り、延べ数にして、2000日以上、アマゾンで過ごしている。私は不器用なので、人から聞いたことを伝えるのは得意ではない。もしかして私が見落としていることはたくさんあるとは思うが、自分がしてきたことのみ話すことができると思う。

アマゾンの生活と支援活動、そしてそこで感じたこと(スライド補助)
私はあまり、筋道たって話をするのが苦手なので、写真をお見せしながらお話しようと思う。ブラジルは日本の23倍。私たちの支援対象地区は、日本の本州と同じくらいの大きさで、そこに18部族約20000人インディオと呼ばれる先住民が暮らしている。私たちは1989年より、アマゾンの自然の保護と、先住民の存続支援を行っている。

最初にアマゾンに向き合った時、そして緑の絨毯に大きな蛇が悠々と移動している景色を見た時、涙が出た。同じ星でもこのようなところがあるのだと、心が震えた。生物が自由に、美しく、プライドを持って生きている。生物は自然の中でこそ生きられるという事を実感した。アマゾンは人間の小智才覚など通用する所ではない。ジャングルは緑の脅威ともいえるが、私はこの星には無駄なものは何もなく、本来、さまざまな命がバランスよく生きていくようにできていると思っている。人間は万物の長であると驕り、自分たちに決定権があり、人間本位に生きてきた。特に北の世界の人間は便利で豊かな生活を維持するのに具合が良いように生きてきたのではないか。自分もそう生きてきた。でも、アマゾンの自然に相対すると、自分の無力感を感じた。そして、私たちの便利な生活の裏で、南の人たちにご迷惑をかけていることを知った。

アマゾンの先住民社会はそれだけで完結している。彼らの暮らしは限りなく石器時代に近い。電気、ガス、水道、お風呂、何もない。けれどもアマゾンでの暮らしには、虐待、いじめ、差別、心の病気、認知症、自殺など、現代社会のもっている病気もない。泥棒も殺人もない。この社会を見ると文明の進歩とは一体何なのかと、私自身に問い続けている。便利な社会にはなっても、それに反比例して、人の心が欠落していく社会を推し進めているのではないだろうか。ここの人たちと暮らしてそういう事を考えた。

インディオは恵まれていると思う。こういうところで500人くらいが集落を作っている。ここで暮らしていろいろなことを学んだ。人間も動物であることを実感する生活である。住民が500人以上になると、食べ物、排泄などの理由から、問題が出てくるので、村を移す。500人というのが集団で暮らす最大値といえる。この大きさだと、個人の心の動きがわかり、個人と集団の関係性、あえて言えば絆をきちんと確立できるサイズなのだと思う。

これが彼らの家だ。一辺が大体30mくらいのかなり大きな家だ。この家を見た時、妙に懐かしいと思った。日本の昔の農家に良く似ている。この社会は母系で、女の子が生まれると、男の子がお婿さんに入る。女性が主権を持つと世の中が上手く行くような気がする。ここには文字も貨幣もない。だからお金のために働く必要もない。男の人の仕事は、家を作ったり、魚を取ったりすることなどだ。

ここで大体20家族くらいが住んでいる。異文化の地域に入ったとき、彼らがどういう問題を抱えているか最初にみっちり話す。アマゾンのジャングルというと、映画で見るような素敵なおとぎの世界のように聞こえるかも知れないが、実際は非常に過酷である。虫やブヨがたくさんいて、一回行くと300箇所くらい刺される。お風呂とトイレがリラックスするものだという考えはアマゾンで吹き飛んだ。トイレをしていても、虫がザーッとあがってくる。スナダニは小さくて爪の間に入る。爪の間に入ったスナダニが大きくなって痛くなるのだが、それを取るのは、「なぜ、アマゾンに来てしまったのだろう」と思うほど、痛くて辛い。アマゾンでは巡回でまわってくる看護婦はいても、集落の中には医者はいないので呪術師が医者の代わりをする。呪術師のすばらしい人は、薬草を6000種類くらい見分けることができる。スナダニが爪と指の間に入った時、屈強な若い男性が私を両側から支え、呪術師が包丁の先のように研いだ黒曜石で、私の足の先を切った。その時あまりの痛さに失神したのだけど、両側の男性が私を支えた。この時以来、私は自分でナイフや爪切りバサミで爪や肉を切り裂いて始末している。

こういう事を通して感じることは、「自然との共生」とか「自然にやさしく」という言葉は人間のおごりを表しているという事だ。私は「自然への服従」しかありえないのだと思う。そして、自然への服従を前提にすれば、温暖化や異常気象に面した時、その認識や対応の仕方を考え直すことができるのではないかと思う。

彼らの生活を簡単に紹介したいと思う。私たちの生活と対比することでいろいろなことを学んだ。私たちは食材を日々、何10種類か食べようとする。彼らの食材は種類が非常に限られている。これは山芋に似たもの。それをすってクレープ状にしたものを主食として食べる。

これは魚。乾季の時は水位が下がるので魚は豊富だ。私はエボダイが大好きなのだが、ピラニアはエボダイに似て肉厚でとても美味しい。でも恐いのは、釣って30分くらいして、もう大丈夫と思って触るとガブッとかまれたりする。インディオの人も指が一本、2本ない人がけっこういる。お祭りの時などこういう形で燻製にして日持ちをよくしている。

これはサル。このサルを私は生きている時から知っていた。このサルは木で日向ぼっこをして気持ちよさそうに寝ていた。インディオが矢を放って、木から落ちたサルをずるずると引きずってきて焼いた。このことで私たちが日々食べているものは、すべて命があるものだという事を実感した。文明社会では、食物がどういうプロセスを通って食卓にもたらされるか気がつかないような仕組みになっている。私たちは他の命を絶って、自分の命を永らえていることにあまりにも無関心だ。ここに暮らしていると、どういうプロセスで食べ物が口に入るようになるか、嫌がおうでも、それなりに分かってくる。今どきの日本の子供は、かまぼこが海で泳いでいるような絵を描くというが、日本の子供たちを、こういう所に連れていきたいと思った。アマゾンでは子供たちが、サルが殺される所からすべて見ている。サルの命も自分の命も、同じ命だということを、言葉でなく実感として知っている。手許に来るものに対して、小さい時からそれを見る機会が多ければそれだけ、いろいろなことを考える機会があると思う。恥ずかしながら、私は40歳を超えて始めて、自分が日々生きているのは、他者の命を絶ってそれにより自分の肉体を維持しているからだという事を意識した。私は、支援活動という事でアマゾンに入っているが、個人的には、アマゾンのジャングルの中で、この星でどのように生きていくかという事を日々、考えさせられる経験をしている。 

これはトイレに行く時の写真で、獣道を歩きながら手を振っているが、実際はこの茂みから何が出てくるか分からない。川辺から遠い集落の場合は、水浴びに行くにも4km行った時は、4km戻ってこなければならない。帰ってきたときは汗だくになっていることもある。こわごわと大変な思いをして、川に水浴びに行くのだが、不思議な経験をした。川の中では、水がもの凄いエネルギーとなって、全身の毛穴から入ってくることに気がついた。水の力はすごいもので、どんな疲れたときでも、水浴びをすると元気になる。

これはインディオたちの写真だ。インディオの人たちは、15000年前に、ベーリング海峡を渡って、南米にたどり着いたといわれている。自慢になるがこの写真を撮るのに10年かかった。ある意味で如何に、現地の人が他からの人を信頼していないのかがわかる。文化の違うところで支援をするという事は、時には相手のご迷惑になることもある。自分の価値観を他者に押し付けないことは大切だ。理解をしようなんて思うことは上から見下した考え方だと思う。ではどうするかというと、違う価値観をそのまま受け入れるという事だ。丸ごと受け入れれば、相手もわかる。このことは支援活動のみならず、人とのかかわり方にすべて言えることだと思う。500年前に、ポルトガル人が侵略した時に、900万とも、1000万人いたといわれる先住民が、今は32万人に減っている。ブラジルの繁栄の底辺には、インディオたちの血と涙があると思う。先住民の彼らは外部から来た人に対して、非常に警戒し、信頼関係を作るまでに、10年かかった。私は最初に行った時に、一緒に暮らしてみなければ、支援ができるかどうかわからないと告げたが、正直であったことが、彼らの信頼を得たのかもしれないと思う。18集落を全部網羅することは難しい。この集落には無線機、エンジンが必要だな、と自分で納得してから支援してきた。話が長くなったが、女の人と子供が警戒心なしにこのように、写真に納まってくれるのはその信頼関係の結果だと思い、嬉しく思っている。

これは子供たちの写真。私が子供の時は、あかぎれとかしもやけはあったけれどアトピーはなかった。インディオの子供もそうで、ぐちゃぐちゃでドロだらけで頭にはしらみがたくさんいるけれど、彼らはとても元気だ。日本に帰って、こぎれいに小さいところで遊んでいる子供たちをみると、もっと広い所で遊ばしてあげたいなあと思う。

これは私自身の写真。アマゾンにいると鏡を見ることはないし、ワンピースも着たきりすずめなのだけど、写真を見ると、日本にいるときよりも10歳くらい若く見えると思う。アマゾンにいると、緊張と弛緩があり、常にある種の本質的なことを考えさせられ、いつも決断しなければならない状況なので、ある意味で緊張や張りがあり、それが顔に出ているのではないかと思う。

今までアマゾンに21回入って、その間、だんだん彼らが服を着るようになってきた。というのは先住民の社会にも、ブラジル社会、特にキリスト教の影響が強くなってきていて、彼らは服を着ないと恥ずかしいと思うように追い詰められてきているのだと思う。彼らの集落の中には貨幣制度は入っていないが、支援対象地域の外は、すでに貨幣経済なので、彼らだけが裸で貨幣を使わずに生きるという状況にいられるのもあと、1、2年なのではないかと思う。

これは死者を祀る時の写真だ。彼らの社会にはアミニズムが浸透している。日本の自然崇拝にも似て、彼らは本来、天に住んでいたが、下を見ていたら面白そうだなと考えて、下界に下りてきたと信じている。下では形が必要なので、肉体を着た。でも肉体は限度があり朽ちてしまうので、朽ちた時が私たちがいう死であるが、本体は天に戻っていく。だからそれはめでたい門出という事で、他部族も招いて飲み歌い、霊を天に送る。

アマゾンには寝たきりのお年寄りがいない。私はなんで、アマゾンには日本社会で私たちが直面する問題がないのだろうかと考え続けている。日本の医療で必要なのはハード面よりもソフト面なのではないかと思う。アマゾンでなぜお年寄りが元気かというと、彼らは文字を持たないので、口承で文化を伝えていく。お年寄りの役目は、言葉で伝えていくことなのだが、文字がないことによってもしかして脳の使い方も違うのかも知れないと思う。

アマゾンの世界は私たちの世界と違って分断がない。私たちの世界では、職業、富などにより、すべてに対して区別するが、ここの人は何も分けない。目に見えないことに対しても分けない。これは水の精霊なのだけど、こういう形で人間は水に対して感謝の念を表す。精霊信仰により、自然に対して畏敬の念を持ち、人間がどのような形でその空間にあるかという事を知り、それを感謝している。私たちはすべてのことに起承転結を求めるが、彼らは今という時を大事に生きている。彼らには悲しみとか、幸せ、喜びという言葉はない。怒ったり、泣いたりという行為はあるけれど、言葉の中に、幸せとか悲しみというコンセプトはない。ある部族の言葉は過去形も未来系もない。

これは野生のカピパラの赤ちゃんなのだが、親と離れてしまったので、集落の人が助けて、大きくなると森に返す。これは豹の赤ちゃん。お母さんと離れて、インディオの人たちに助けられ、森に戻っていく。インディオの人たちは本能的にどのように森を保ち活性化していくかを知っているように思える。これはアリクイ。一度、森が焼かれて逃げ惑うアリクイを見たことがあるけれど、一体このようなことを誰がしているのだと、追い詰めて考えていった時に、私自身に戻ってきたことを覚えている。これはナマケモノで、彼らは本当に歩くのが遅いのだけど、この爪が面白い形をしているので乱獲されてしまった。アマゾンにはたくさんの生物が生きている。私はアマゾンに入ると、まず、五感がさえてくる。人間の本能が蘇るような気がする。生きるという力が出てくる。このさそりに刺されたら、10mくらいの蛇でも死ぬといわれているが、アマゾンに居ると足の裏に目があるように感覚が研ぎ澄まされる。

これは、アマゾンの森が焼かれて失われていく写真だ。この光景を見た時に広島の原爆を思い出した。森が焼かれる臭いや風を伝えることができないのは残念だが、煙で目を開けていることすら辛い。このような形で森が焼かれていく。なぜ、このようなことが起るのかを考えてみたい。私たちの食文化で大豆は重要だが、それは2、3%しか国産でない。という事は97%が外国産ということだ。先ほども入ったように私たちは貨幣というベールを通してしかモノを見ないので、食物が口に運ばれるまでのプロセスを見ることができないが、こういう形で大豆が生産されているという事を知っておくべきだと思う。大豆の外殻は、鳥の飼料にされるが、日本の鶏の80%以上はブラジルから来ている。という事は、このようにアマゾンの森を壊して得たものを、それを私たちが食べているという連鎖が見えてくる。消費者自身が自分の口に入るものに対してチェックをすることが大切なのだと思う。

これは今、注目されているエタノールを作る原料のとうもろこしやサトウキビの畑だ。エタノールは日本でも売り出されている。確かに日本ではCO2は排出されないが、今、ブラジルで問題になっているのは、ブラジルが排出するCO2の75~80%が森を焼く時に出るCO2だという事だ。私たちは国境ということで、区切りをつけて考えるが、この星を一つだという観点から見れば、実は自分の首をしめ、次世代の命を削って、私たちが便利で快適な生活を追い求めているのではないかという気がする。

これは牧場の写真だ。アメリカでのBSEの問題もあり、牧場が増えている。そのためにアマゾンの森が壊されている。これはダムの写真だ。地下資源が豊かなので、アマゾンの森を壊し、私たちの手許に送られる。その際、枯葉剤を撒いたりして、森を壊し早急にダムが作られる。これは金。このような穴を掘って、金を摂っていく。

私たちの支援は換金作物の生産ではない。アマゾンの森の活性化と再生のための植林を行っている。特に、高級家具材のマホガニーの乱獲が増えているが、赤土になった所にマホガニーの苗を植え、自然の生態系の回復を図っている。先ほど話したように、いずれ、インディオたちも貨幣制度の波に飲まれる。その時、彼らが経済的自立を持ち、ソフトランディングができるように、作物を販売したりするような、パイロットプロジェクトも行いだした。また、外部からの来た人間が運んでくる病原菌に対して、彼らは免疫がないので、薬の支援を行ったりしている。

アマゾンの状況、インディオたちの生活や文化をより多くの人たちに伝えるために、彼らの伝統文化の紹介をサンパウロで行った。今年は、広島でも開催した。7月14日からは、66日間、川崎の岡本太郎美術館で、アマゾン展を開催する。岡本太郎の言葉と、インディオ人たちの写真のコラボレーション展だ。アートの切り口ではあるが、先進国の人たちの生活が、ある意味でアマゾンの人たちによって支えられているという事に関して、もう一度考え直す機会になればよいと思っている。

先日、私の人生を変えた先住民の長老ラオーニが再来日した。彼は、20年前と同じ警告を日本の人に発したが、一体この20年間、私たちは何をしてきたのだろうかと考えて、ちょっと落ち込んだりもしたが、今後も焦らずに、あきらめずに、アマゾン支援を続けていくつもりだ。

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