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2007年6月17日 (日)

第9回 ジャーナリスト、ICU・上智大学講師 村上むつ子さん

英語を磨いて世界を拓くⅠ

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英語との出会い
 私は東京の出身なのですけれど、小さい時は、本当に普通の、目立たない、恥ずかしがりやの女の子でした。活発といえば活発でしたが、それは、中高と女子だけの学校だったからです。共学だと男子が委員長で、女子は副委員長でなく、女子がなんでもできたから。スポーツや演劇に熱をいれたのも高校生の後半です。私は私立のミッション学校にいっていたこともあり、英語の授業にはネイティブスピカーの先生がいました。そのうち、英語って受験のためだけじゃない、自分の言いたいことが通じる言語なんだとわかってきました。日本では英語は試験のためだけの勉強になりがちですよね。
 大学は上智大学に進学しました。私はここで、恩師というべき先生にも出会いましたが、授業ではアメリカ人の先生がたにいつも自分の意見を求められました。あなたはどうなの、と問われるわけで、説明しようと必死に英語の言葉を探します。また、学生運動盛んな時に英字新聞部にいたので、学内で起こっていることについて記事を書くには、自分が責任をもって説明する必要があります。アカウンタビリティということですね。そのために表現・コミュニケーションというものに意識が向いてきました。人に伝えて伝わったときの達成感、責任感というものを体感する経験をしたのです。

アメリカのジャーナリズムに飛び込む
 就職活動の時期になりましたが、私には新聞社くらいしか考えが浮かびませんでした。当時は雇用機会均等法などないので、企業の求人に女性の枠はありません。当然、記者職に女性の募集はありませんでした。それまでは中高は女子高で、大学でもあからさまな性差別はなかったので、就職の際にはじめて女性だから募集がないことについて驚いたわけです。
 卒業後、ブラブラしているうちに、アメリカのシカゴ・トリビューン紙の東京支局のエディトリアル・アシスタントの仕事を紹介され、フルタイムの仕事を始めました。そこは私と支局長しかいないので、いろいろなテーマで意見を求められました。自分の意見が記事に反映されるので、日本の社会情勢を常に勉強し、情報に対して網を張っていましたね。
私はこうしてアメリカのジャーナリズムに入ったのですが、最初はつらかったです。とにかく人生で初めて朝から晩まで英語漬けで一日が終わる頃には頭が痛くなる。「イングリッシュ・ヘッドエイク」と呼んでいました。でも毎日、新しい体験を獲得できて、勉強になり、楽しかったです。
 当時は70年代半ばでウーマンリブが入ってきた時代です。1975年から10年間、国連主導で女性の差別をなくそうという運動が公のものとして始まった時期でした。私の20代はまさにその渦中。日本でも平塚らいてうの思想をベースとした独特の女性運動が見直され、日本独特のスタイルの女性の運動が始まっていました。
 20代からアメリカのジャーナリズムに関わっているうちに、日本が外からどう見られているかもわかるようになってきました。アメリカが当時、日本に対して持っていたイメージは「フジヤマ」「ゲイシャ」。日本についての記事ならなんでも、そういう言葉がタイトルにもそれがつけられる、そんな時代でした。
 シカゴ・トリビューンの東京支局では、私もまずはフィーチャーストーリー(軽い読み物記事)を書く仕事を任されるようになりました。私はトイレットペーパーの記事を書きました。単語がプリントされているトイレットペーパーで。掲載してもらうために、写真付きで送ったら大きく取り扱わたのです。支局長が出張中に、喜ばれてしまい、その後も政治や経済の記事を書くチャンスが回ってきました。
 ところが仕事を始めて5年くらいたって、母国語じゃない言葉で記事を書くことに対して、このままでいいのかな、と思い始めました。 そこで20代後半、1年間ニューヨークの大学院でアメリカ流のジャーナリズムの基礎を勉強しなおしました。修士号を取得して帰国しましが、30近くの女性が。留学して勉強してきたことを生かせる仕事はなかなかないのです。今すぐ就職しなくても、と思っている内に、フリーの立場で取材、執筆を頼まれるようになり、継続して記事を書くようになりました。その結果、10年間はフリーランスの記者として仕事を続けました。来た仕事は断らないでいたら、まったく知らない分野、たとえばマシンツール(工作機械=機械をつくる機械)や産業ロボットなどの記事を書いてくれという依頼も来るわけです。そのたびに必死に勉強して書きました。鉄鋼、金属にまつわる記事なども書き、全工業を勉強する結果になり、おかげで怖いものはなにもなくなりました。

アジアウィークを経て大学で教鞭をとることに
 その頃、アジアウィーク誌にも、週に1、2本の記事を書くようになりました。アジアウィークは1976年に発刊されたアジア地域の英語のニュース雑誌ですが、その後、急成長を続けたため、日本に専任の特派員が欲しいということになり、私は正社員として迎え入れられました。ちょうどその頃、私は人生の大きな節目に入っていました。それまでは英語で記事を書くと言えば、アメリカの読者のために記事を書いていました。が、今度はアジアの読者に向けて書くという点で、アジアからものを見るという経験を積み始めていたのです。たとえば、貿易摩擦や東アジアの近代史を日本だけでなくアジア地域の視界でみる、というようなことです。また、80年代のアジア経済の急成長を見つめながら、地域全体の中の日本の位置づけを学ぶことにもなりました。また、90年代、バブルがはじけた日本の「失われた10年」も外からの眼でみながら報道する、ということをしました。アジアウィークはアメリカのタイムの系列に入り、成長を続けていました。
 私が50代の半ばに入ろうというころに、9.11事件が起こりました。その影響で広告市場に動揺があり、結果的にアジアウィークが廃刊となり、私もアメリカ系メディアからはなれて、自分のこれからを考える時間を自分に一年ほど与えました。
 その後、大学で講師として教えるという機会を得ました。もともと、記者の眼で日本の若い人のことが気になっていました。非常に幼い、歴史観などが薄い・・・など。日本で生まれ育つと、社会性や社会的責任感が育まれる機会が乏しいのではないだろうか、それには「アクション・ラ−ニング」「体験学習」の手法でジャーナリズムを教えることがなにかの役には立つのではないか、と思ったのです。上智大学、国際基督教大学、聖心女子大学でジャーナリズムやコミュニケーション、英語のライティングなどを教える中、サービスラーニングという教育手法にも出会い、現在はそれに力を注いでいます。こういう私の半生を振り返り、考えの流れや進展を思うにつけ、英語を手にしたことが大きかった、と思っています。

英語を獲得することで広がる視界
 世界の中で、ネイティブで英語を話すのは約3億6000万人。第2言語としては約10億から15億人と言われています。特にインド・中国では、毎年何千万人と英語をあやつれる人口が増えつつあります。日本人も日本語だけの価値観の中に閉じこもって暮すのでなく、英語を知ることで10億人の価値観を知ることができるというのはすごいことですよね。日本の中では英語をひたすら崇拝する風潮も一部にありますが(英語帝国主義論とも言われますが)、世界中にITが広まるにつれ、英語が主流言語としてインターネット世界の基本言語として広まったことは事実です。その結果の不平等つまりEnglish Divideもあります。英語が出来れば国際的かという疑問も生まれています。が、東南アジア各国や、インドでは、なまりのある英語を堂々と話しています。私自身も今までの体験から、英語を獲得すると、欧米の人々だけでなく、アジアや他の地域の人々ともコミュニケートできるのだと、実感しています。英語が日本語と同じように使えると、豊かで楽しい人生になっていくはずです。

■視界は地球規模に広がる
 英語を獲得すると、情報の量と質は地球規模になります。経済の記事は日経で読むより、英語で読むほうが断然わかりやすいとわかります。たとえばウォールストリートジャーナルの記事で見ると、トヨタ売上1兆円突破という内容については、GMと並び評され、世界中の自動車業界でのポジションという視点で書かれています。国内紙では日本からの視野を越えて地球的視野で、とはいきません。
また、世界のトレンドやファッションもより多く早くわかる。BRIC’sについて、環境とファッションの結びつきとか。日本語ではでてこない切り口・視野の読み物が多いです。医療についても、例えばアメリカでは新薬情報などがディスクローズされていることが多いので、英語がわかれば、インターネットでどんどん最新の情報が入ってくる。その情報がすべて自分に直接に役には立たなくても、医師に伝えることで状況が変わるケースもあるわけです。
 日本がどのように見られているか、も世界標準の視点がわかります。英語情報での安倍首相就任の際の記事、柳沢厚生労働省大臣の「産む機械発言」などを見ると、日本での扱いの切り口と違います。
 今年の1月1日の資生堂の広告は、女性が裸で子供を抱いている。母性賛歌が全面にでている全面広告でした。私はこれを見てゲンナリしました。日本では女性を讃歌する母性強調スタイルが根強いですね。柳沢発言につながると思います。

■人生の見え方が変わる
 私は自分のことはフェミニストだと思っています。若い頃、「The Feminine Mystique」という本と出会いました。郊外の一軒家で家族と暮す幸せな母親となることが幸せ、というイメージが一般的だが、現実ではそういう暮しイコール女性の幸せではないことも多い、という内容です。いまだに日本ではこういうメンタリティが続いているのですが。
 また、日本の立場がよくわかるようになります。特に歴史における日本の立場について、これはアジアウィークで記者生活をしている中で学びました。

■日本の女性のイメージがわかる
 欧米のゲイシャ、毎年ゲイシャと名の付く本や記事が毎年出ています。日本女性のイメージといえば従順であまりものを言わない、あるいは、くすくす、きゃっきゃと笑う女性のイメージが浸透しています。もっと現代的なイメージとしては、金遣いが荒い、おしゃれと思われていますし、海外では場所によっては、日本女性は性的に開放的だとか、誘えば簡単にひっかかるとも。日本女性は愛のない結婚生活をしている、と信じこんでいる人もいます。
 日本では、演歌的な女性像が世の中にばら撒かれていることも特徴です。「私バカよね」「お暇なら来てよね」と言った歌詞に代表されるように、家庭で求める母性としての女性と酒場での女性像が2極にステレオタイプ化している。私は演歌よりビートルズの歌に描かれている女性像の方が好きです。彼らの愛の歌の中には、「僕たち、いっしょに人生をなんとかしていこうよ」という歌詞の歌があります。女性を同じ人間としてみており、母性やセックスの対象としてしか女性を見ないという昔ながらの日本の女性像とは違うと、私は若い時から思いました。また家族像でも、日本ではドラマでも広告でも女性と子供が家にして、お父さんは外というイメージがまだ強いですね。
 たとえば、2003年から2005年の26ヶ月間、日本においてわいせつ行為で免許を剥奪された教師は、なんと255名もいたそうです。免許を取り上げられていなくとも、そういう教員はもっといるでしょう。また、世界中でばら撒かれている児童ポルノは、95%以上が日本発といわれています。女性をイコールパートナーと見る目を育つ機会がないままに大人になっている日本の男性が多いのではないか、と私は思っています。
 英語を獲得することで、メディアリテラシー、クリティカルシンキングを身につけて日本のメディアをうのみにしないこと、日本がどういう位置にあるのか、自分の立ち位置について考えることも、英語を獲得する中で得られたことです。

英語をどうやって勉強するか

とにかくたくさん読む・聞く・話す、これが上達の道だと思います。

①趣味の道から入る
好ききなものから。たとえば映画など。私は栗原はるみさんの英語の料理本、スポーツ、アート(ネットサーフィンで建築物を見る)、音楽(ボノやクリントイーストウッドの活躍が気になる)

②推理小説から入る
先へ先へと読み進めることができるのでいいです。

③日英でニュースをチェック
Yahoo.com、韓国中央日報、CNNをかけっぱなしなど。

④NHKの「英語でしゃべらナイト」はお薦め

⑤英語を話すチャンスを作る
地域ボランティア、国際交流NPO、スタディツアーズに参加する。休暇中に海外の人と自宅交換をするというのも面白い。

⑥音読のススメ
声を出して読むほうが頭に入る。好きな映画のスクリプトを読む。

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