第12回 プラティエス㈱社長 池澤ショーエンバウム直美さん
プロアクティブな《きっかけ》作りがキャリアを変える
私は2年前にプラティエスという会社を作りました。その理由は人の集まる広場を作りたかったからです。ギリシャ語で広場を意味するプラティアの複数形がプラティエス。どうせ作るならたくさん広場を作ろうと思いました。これから転機の多かった波乱万丈の私のキャリアの軌跡をお話ししますが、今日のこの場も私たちの広場、どうぞ何時でも何でも質問をしてください。
変身願望、「らしくないこと」への挑戦を続けた学生時代
自分のコアがいつ出来たのかを考えると、たぶん中高時代に遡るのではないかと思います。中高時代の私はいわゆる優等生でした。でもそういわれるのが嫌で、表ではあえて馬鹿なことをし、家に帰ってはガリ勉をしていました。「いかにも~」と言うのに反抗していたわけです。今でもキャリアカウンセラーには見えないといわれると嬉しい。求められているイメージから、意表を覆すのが好きなのですね。中高時代は女優になりたかったし、留学もしたかった。自分には変身願望とともに、閉所恐怖症があり、広い世界でないと住めないと思っていました。大学はお茶の水女子大に入りましたが、ここでも「お茶大らしくない」大学時代を送りました。この時期に、その後に大きな影響を与える二つの運命的な出会いをしたと言えます。
一つはある会社の学生重役を二年間勤めたこと。学生の柔軟な発想力を企業経営に取り入れたいというインターンシップの先駆けのようなもので、「ビジョン・スチューデント」という名前がついていました。2000人の学生が応募し、5次試験ぐらいまであったでしょうか、最終的に8人が選ばれました。女性は私だけでした。試験は、「10年後のあなたを描きなさい」というような荒唐無稽のものでした。学生重役として与えられた課題は「お金に糸目はつけないから、この世のユートピアを探してこい」という、これまた荒唐無稽なものでした。8人仲間は3グループに分かれて、東カロリン群島、西カロリン群島そしてマーシャル諸島に散りました。私は最初の年は東カロリン群島、2年目はニューギニアで、土地の人たちと一ヶ月を過ごしました。ポナペ島で居候をしていた家族とは、親子の誓いを結び、その後もずっと付き合うことになり、島の父が危篤の時には飛行機を乗り継ぎ看病に駆けつけました。でも、この2つの旅で分かったことは「ユートピアは心の中にあるという事」でした。あの時訪れた土地は、行く度に変化をしているのがわかりますが、私の心の中では当時のままで生き続けているのです。
もう一つは池澤夏樹と知り合ったことです。今では押しも押されもせぬ大作家になりましたが、当時はもちろん、将来の予測もつかぬ風来坊でした。大学卒業後すぐに結婚をしました。池澤との28年の結婚生活で彼に叩きこまれたことは「大切なものは形にならない」ということでした。私が「モノ」を相手にするよりも、形にならない「人」を相手にすることが好きだし、向いていると思うのはこうした経験に端を発しているのでしょうか。
実は、大学卒業後は、アナウンサーになりたかったのです。話す言葉で表現をしたかったからなのですね。そこで在学中にアナウンサーの学校に通いました。当時、「オールナイト日本」という深夜番組が流行っていて、高島秀武さんという売れっ子のパーソナリティがいました。ご近所で、横須賀高校の先輩でしたので、突然訪ねて行って「弟子にしてください!」とお願いしました。
高島さんのびっくりした顔が今でも目に浮かびますが、一生懸命に訴える小さな女の子を放ってはおけなかったのでしょうか、仕事の後に、個人教授をしてくれることになりました。けれども、どこも最後の音声テストで落ちてしまう。声の適性は自分ではどうすることもできませんでした。
そこで再び自己分析をして、何が好きかを考えました。広い世界に連れ出してくれる飛行機が好きで、空港で飛行機を見ていると文句なく幸せになることを思い出し、「それなら飛行機のそばで働こう!」と思って日本航空に入りました。その後、結婚や出産など、いくつかの転機があり、その度に職業選択をすることになりました。その時どきに自分に何が出来るか、何がしたいのかを必死になって考えました。今にして思えば、キャリアとは、転機、職業選択、スキルアップの経験を通して、3次元的にだんだん高く上にのぼっていくスパイラルだと思います。これから、私自身のキャリアを振り返りながら、私が考えるキャリアの理論的法則をお話しましょう。
キャリアのプロアクティブ7箇条
その1.歩き続ければ、線になる。
多くの学生や社会人に個別ガイダンスを行ってきましたが、いつも言うのは「歩き続けてください」、「止まらないでください」という事です。歩き続ければ、絶対に先が見えてくる。歩けない時は足踏みだけでもよいから、止まらないで欲しいと言っています。私自身の例で説明したいと思います。
・ 日本航空に居たからこそ世界を知ることができた。
日本航空では社員特典がありましたから、世界中、好きな所に行くことが出来ました。夫は会社勤めをしているわけではありませんでしたから、何時でも旅ができました。二人でいろいろと行った中で、ギリシャがとても気に入って、ギリシャに住むことに決めました。そんな折に妊娠していることがわかり、親たちは大反対しましたが、「赤ん坊を産むのはどこでもできる。」と安定期に入る6ヶ月目を待って、ギリシャに移住しました。そして、JALアテネ支店のギリシャ人の友人の紹介で、在アテネ日本大使館で仕事を見つけ、出産後すぐに働き始めました。
・ 日本大使館に居たからこそギリシャ人とギリシャを知り、ギリシャ語を学ぶことが出来た。
ギリシャで仕事をするには、ギリシャ語ができなくてはならないので、YMCAの夜の学校に通って一生懸命勉強をしました。企業から派遣されている人たちと違って私たちは貧乏でしたから、外国人が住む高級住宅地ではなく、現地の人たちが住む一角にアパートを借りました。上の階から洗濯物が落ちて来ても、ギリシャ人と同じように怒鳴り返さなければならないような生活でした。その分、面白かったし、ギリシャ語も上達しました。ところが、父が亡くなって、3年後に日本に帰らねばならなくなりました。生活のために仕事を見つけなければなりませんでしたので、帰国前から、学んだギリシャ語を売りにできるオリンピック航空、ギリシャ大使館、ギリシャ政府観光局へと履歴書を送ってアプローチをしました。その結果、ギリシャ大使館商務部からオファーを貰いました。
・ 在日ギリシャ大使館に居たからこそ、いろいろな仕事に関わることが出来た。
ギリシャ大使館では、ギリシャ製品の対日輸出を伸ばすために、営業、マーケティング、見本市やイベントの企画・運営を一手に引き受けました。商務部には、ギリシャ人の商務官と私の2人しかいませんでしたので、政府との交渉から、商務官の水虫の薬を買うことまで、何から何までしなければなりませんでした。でも逆にそれがとても面白かった。そして、随分仕事を覚えました。日常的に仕事の場で使うのは、ギリシャ語と英語でしたから、おのずと英語力もついていきました。マーケティングや営業力、交渉力、企画力などの基本を実践的に身につけたこともその後の自分の強みになりました。けれどもギリシャの政権が社会主義に転じたのを潮時に、10年間働いた職場から転職をすることに決意しました。
・アモコに居たからこそ、自分に向かないものが良くわかった。
アメリカの大手化学会社、アモコが英語で営業が出来る人を探していて、そこに転職することになりました。アモコではポリマーというプラスティックの原料の営業をしましたが、そこで知ったことは、「好きなもの、わかっているもの」しか上手に売ることが出来ないという現実でした。たとえば、多少品質は劣っていても大好きなギリシャの製品でしたら一生懸命に説明し買ってもらうことができました。アモコの製品は品質的には世界最高のものでしたが、いかんせんよく理解できない難しいもので、惚れることもできませんでした。これではいけないと、思い切って退職しました。ジャパンタイムズの広告などで仕事を探す3ヶ月近い失業生活でした。そんな時に、たまたまICUの教授をしている旧友から電話がかかり、大学で人を探していることを聞き、試験を受けてみることになりました。25歳までの人を求めていたのに当時の私は39歳!年の功で筆記試験は一番で通りましたが面接で落ちてしまいました。「あんなにいろいろな仕事をしてきた人には、大学の仕事なんか面白いわけもない、すぐ辞めてしまうに違いない。」というのがその理由だったそうです。
・ 国際基督教大学(ICU)にいたからこそ天職に出会うことができた。
ところが、友人の教授が、「私のような人を採用しなかったから、当時の思わしくない状況があるのだ」と大学に掛け合ってくれて、副学長が決定を覆しICUで働くことになりました。以来、国際渉外事務室で国際交流プログラムに関わったり、財務副学長の秘書をしたり、広報課長や、就職相談室長、大学院入学試験の主管と16年間でいろいろな仕事をさせられました。おかげで自分に向いていることと、向いていないことがはっきりわかりました。外の世界に広がっている広報と就職はとても向いていて、業績もすごく上げることができました。けれども最後に配属された大学院の入試担当は、「世の中にこんな向かない仕事があるのか」と思うほどに自分には合わない仕事でした。入試の遂行に大事なことは、一字一句のミスもおかさないこと、そのためには長年築き上げられたマニュアル通りに事を運ばねばならない、クリエイティブであってはならないのです。「こんなことでは自分が段々自分らしくなくなる。」「自分よりできる人がたくさんいる仕事でこんなにお金をもらうわけにはいかない。」と悩んだ結果、就職室長時代に取得していたキャリアカウンセラーの資格を生かして自分が本当にやりたいことをしよう、と退職し、起業しました。予定より、5年も早い退職でした。
・ 起業してわかったこと
大学在職時代から講演を依頼されたり、インタビューをされたりする機会がけっこうありましたが、それは「池澤直美」だからではなく、「ICUの広報課長、就職相談室長」という看板があったからこそというのが良くわかりました。辞めてみれば一介の「池澤直美」でしかない。「あなた誰?」「あなた何?」からの出発です。そんな自分に仕事を依頼してくださるのだからありがたい、とつくづく謙虚になりましたね。また、小さいながらも経営者の視点を身につけることができ、ネットワークも広がりました。仕事は一生懸命やれば必ず誰かが見ていてくれて、次に繋がって行くということも実感しています。
その2.キャリアは積み木遊び
歩き続けていればキャリアは線になります。その節目、節目には必ず次に繋がるフックがあります。誰にでも「こういうものを創ってみたい」という漠然としたイメージがあるはずです。それを創るには「どういう積み木を持ってきたらよいのだろうか」とか、「その積み木をどう組み立てればよいのだろうか」と考える力がキャリアのきっかけを作るフックになります。今の仕事に満足をしている時でさえ、「どういう事をしたい」、あるいは「どういう事はやりたくない」、というビジョンをもっておくことが大事ですね。
その3.惚れたが勝ち
キャリアの選択、継続は恋愛に似ています。惚れた方が強い。今、せっかく就職した3割の学生が3年以内に辞めてしまうと言われています。私が新卒の人に言うのは、「せめて3年は居て欲しい」ということ。1ヶ月や6ヶ月では何のスキルも身に付きません。好きで決めた道、惚れた道ならば、嫌なことがあっても「惚れたんだからしょうがないさ」と我慢ができます。どんな辛い経験、自分には合わないと思う経験でも、そこから見えるもの、学ぶものがあるはずです。
その4.期限を設けて見直しをする
一生涯、惚れた仕事を歩み続けるのも立派ですが、ある期限を決めて見直しをするのも大切です。仕事が辛くなったり、意欲が持てなくなった時は、「とにかくここまでは続けてみよう」と期限を決めてみると、不思議と辛いことも辛くならなくなります。私も起業してまだ2年ですから、正直、まだ辛いです。でも惚れて自分の足で歩みだした道だから我慢できます。2010年になったらリセットボタンを押して、いったん見直そうと思っています。そう思うとなおさら今できる仕事がいとおしくなる。一生懸命しなければと思います。キャリアはところどころに自分で節目を作って、これまで歩んできた道を見直して、棚卸しをすることが大事だと思います。
その5.迷った時は2つの特効薬
人生には誰でも迷う時があります。その時は元いたところに立ち帰ってみること。私の人生で言えば、ビジョン・スチューデントになったのが原点です。今でも、当時の仲間と会えば昔の自分の事が思い出されます。当時は欲しいものを欲しいという素直な勇気があった、自分は何にでもなれるという可能性と夢があった。迷ったり行き詰った時には、あの時の自分にもう一回立ち戻ってみることにしています。
もう一つは、ここだけは譲れない自分のアンカーを知ること。キャリアを創る大きな力になるものには、ポジティブな要因とネガティブな要因があります。ネガティブなことによって、キャリアが拓けることもあるのです。たとえば大学在職中の最後に入学試験の総指揮を取る仕事に異動となりました。あれほど自分に向いていないことはありませんでしたね。そこで、キャリアカウンセラーとして自分自身にカウンセリングをしたのです。「あなたは何をしたいの?何を求めているの?何がそんなにいやなの?」と。<自分にとってこれだけは捨てられない、譲れないもの=キャリアアンカー>は何かという事を必死に考えました。そこで分かったことは、クリエイティブであることと表現することを失ったら、それはもう自分自身ではありえない、ということでした。計画より5年早い退職を決意したことにはそんなきっかけがありました。そして自分のキャリアアンカーを活かして出来ることをしたいという強い思いから、起業してキャリア・カウンセラーになりました。このようにネガティブなことも前に進む力になることを覚えておいてください。辛い時期が訪れたら、それはあなたが前へ進む転機かも知れません。
その6.思考錯誤があって当然。すべてのことはよい経験
失敗があって当然と思ってください。私の例を話すと、起業して浮き足だっていた頃、来る仕事をすべて受けていた時期がありました。愛地球博の時に、ゴビ砂漠の砂を売って欲しいと頼まれて、いろいろな仕掛けを作って売ろうとしましたが、大失敗をして負債を背負い込んでしまいました。そこから学んだことは、面白いけれど物販は素人であること、面白い、興味があることと出来ることは別ものだという事でした。二度と同じ失敗はしないだろうと思います。
その7.大事なのは節目節目に真剣に考えること
リスクを頭のどこかに置くことは大切ですが、リスクに捕らわれ過ぎてはいけません。その時、その時に一生懸命考えれば何とかなるさ、というようなある種、楽観的なアバウトさも、キャリアを作るプロセスの中では大切だと思います。
キャリアカウンセラーへの道
なぜ、キャリアカウンセラーになろうと思ったのか、とよく聞かれます。大学で4年近く、毎年400人近い学生と一対一で向き合ってガイダンスをする中で多くのことを学び、スキルを身につけていきました。カウンセラーは説明をするのではなく、学生が自らの価値に気づくように仕向けなければなりません。伏し目がちで入ってきた学生が、自分の価値に気づいて目が輝き始める時に感じる喜びは何ものにも変えられません。もうひとつの思いは「あなたは何ですか?」と聞かれて「私は○○です。」と答えることのできるスペシャリストになりたかったことです。私は中途半端にいろいろなことをしてきて、ジェネラリストとしての幅は持っていましたが、スペシャルな分野となるといったい何かしらと首をかしげざるを得ませんでした。ようやく、今、「私はキャリアカウンセラーです。」と堂々と言えるようになりました。
キャリアカウンセラーには向き不向きがあります。私は、人間が大好きで、聞き上手、励まし上手であると人に言われてきました。どんな人の中にも良い所を発見できる特技もあります。いろいろな仕事をしてきた自らの広い就業経験も強味でしょう。また、楽観的で、明るく前向きな性格もこの仕事に向いているのではないかと思います。
「カリスマ・カウンセラー」と呼び始めたのは学生たちでした。別に特別すごいわけでも何でもない。ただ、「池澤のところに行けば分かってもらえる、聞いてもらえる、一緒に泣いてもらえる、叱ってもらえる。。。。。」という事で学生たちから頼りにされていたのだと思います。また、生来の外交的な性格から幅広いネットワークを持っていて、学生にとって有利になるような特別な情報をいただくことも多くありました。マッチングはカウンセラーの仕事ではありませんが、そうしたことも効を奏し、当時いた大学の就職力ランキングを36位から5位までに押し上げることができました。
最後に皆さんへのメッセージ
・「計画された偶発性」という考え方
スタンフォード大学のクランボルツ教授が発表した「計画された偶発性」(Planned Happenstance )というキャリア理論が今の主流になっています。個人のキャリアは偶然に起きる予期せぬできごとによって決定される、その偶発的なできごとを、主体性や努力によって最大限に活用し力に変えることが出来るという理論です。けれども、偶然を漫然と待つだけではだめです。偶然を呼び寄せる努力をしなければいけません。その仕掛けとも言えるものが、好奇心、持久力、柔軟性、楽観性、リスクをとる勇気、の5つの要素です。
・セレンディピティという考え方
計画された偶発性(Planned Happenstance)に似たコンセプトですが、セレンディピティ(Serendipity)というのは偶然の幸運に出会う能力のことを言います。それを捕まえるには、常日頃、自分は何がやりたいのかを考えておく必要があります。私の高校の先輩でもあるノーベル賞受賞者の小柴昌俊さんは次のように言っています。「確かに私たちは幸運だった。でも幸運はみんなのところに同じように降り注ぐ。それを捕まえるかどうかは、ちゃんと準備をしていたかいなかったのかの差ではないか。」
・弾むマグカップになろう
ハーバード大学のライニング教授が、「ハーバードからの贈り物」という本の中でこう言っています。「トラックを何週もする長い競技にも似た人生、スタート直後に先頭を走っている者がそのまま先頭を走り続けられるとは限りません。往々にして後ろの方を走っていた者が、後半ぐんぐんとペースを上げて来ることが多い。」そんな人生のトラックで重要なのは、失望から立ち直る能力、たとえ失望や苦難に直面してもめげずに進んでいく力だそうです。街道沿いの簡易食堂の頑丈なマグカップのように、落としても割れずに、床にぶつかって弾む強さです。見た目はどんなに美しくても、床に落ちれば割れてしまう繊細なカップではないのです。
・ギリシャの作家、カザンツアキスの言葉
最後に、私の大好きな言葉を皆さんにお贈りしたいと思います。本当に落ち込んだ時に、私はこの言葉を自分に言い聞かせて勇気を奮い起こしています。ギリシャの作家、カザンツァキスの言葉で、クレタ島の丘の上に眠る彼のお墓にも刻まれています。恐れず、自分らしくないことは望まず、ある種、恬淡と、自由に生きていくことができたらと願っています。
「自分は何も恐れない。自分は何も望まない。だって、自由人なのだから。」
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