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2006年11月23日 (木)

第4回 (有)T-POT代表取締役 御手洗照子さん 

「心を繋ぐものに魅せられて
商品コンサルタントとして起業するまでの道」Img_0468__1

始めに。仕事に対する私の気持ち
普段、自分の仕事である商品関係のことで話すことはあっても、自分の人生の事を話すのは初めてなので、気恥ずかしい気もするのですが、このような会にお呼びいただいて嬉しく思っています。私は現在、T―POTの代表をしていますが、何をしているか分からないと思うので、私のホームページで端的に自分の気持ちを語ったところを読ませていただきます。

「ものは心をつなぐ」
ものを媒体としたコミュニケーションに興味があります。
アートも、商品も、手のひらに載る茶碗から、建築まで、ものは語り
時代と空間を超えて心を繋ぐことができると思っています。
川上から川下まで、つまり、産地の製造元から 流通のただなか、そして専門店から百貨店まで、流れにすべて関わって、今に受け継がれる技、知恵、心を活かし
共感を得られるものをめざして、作りたいとおもいます。
作り手の手から使い手の手まで、確実に渡るものこそ、良い媒体でしょう。
ボブ・ディランの「角の八百屋も詩人になれる」という言葉を信じています。

私のキャリアストーリー
長く続いた「ウロウロ時代」

「高校時代、何になりたかったか」と子供たちに聞かれると、「詩人になりたかった」と言って煙に巻いています。私は詩人になれる人間ではなかったけれど、こういう気持ちは今も心のよりどころになっています。
絵も描きたいという気もあったのですが、とりあえず、大学は好きだった仏文に入りました。大学時代は、あり余る時間を読書と画廊めぐりに費やしていました。70年代は、まだ女性が大学卒業後、皆、仕事を持つという時代ではありませんでした。卒業したとたんにポーンと一人、野原に放り出された感じで、呆然としたのを覚えています。当時やりたいことは、インテリアデザイナー、コマーシャルフィルムのディレクター、イラストレーターなど、何故かカタカナ職業が多かったのですが、望めばなれると思ってしまうのが若さでした。インテリアデザインやイラストレーターの学校に通ったり、電通映画社のディレクターの人を紹介してもらったりしました。そういうディレクターや、名の知れたイラストレーターについて歩いたりもしましたが、実力もベースもないのに仕事になるわけもなく、20代後半まで、何年間も今で言うフリーター状態でした。

無駄ではなかった「無駄なこと」
私が焦って「仕事、仕事」と言い出した頃、電通映画社のディレクターの人が、今にして思えば、とても印象に残ることを言ってくれました。それは「仕事を始めてしまったら、いやでも収斂していって、本当に狭いところが自分の専門になっていってしまう。もし、今、無駄なことをできる状況なのだったら、間口を拡げていくらでも無駄なことはやったほうが良い。」という言葉でした。当時は、信じられませんでしたが、今になってみると本当だったなあと思います。一度、仕事の流れに乗ってしまうと、無駄なことに費やす時間が殆ど無いのですが、あの時代、あれだけいっぱい無駄なことをしたという事は、本当に無駄ではなかったと思います。

初の仕事で人と繋がることの面白さを知る
あの時代のほとんどの女性と同じく、いずれ結婚すると思っていましたから、仕事は二の次ぎ三の次ぎという気分もありました。失恋して結婚の予定がなくなると、もはや無駄なことをしている場合ではないと思い、突然、真剣に仕事をしなければ、という気持ちになったのです。どうやって仕事を探してよいかも分からず、家にあった朝日新聞の求職欄で、銀座に雑貨店を立ち上げる為のバイヤーの求人を見つけました。バイヤー職なんて、右も左も分からなかったのですが、ともかくスタートしました。会社から予算をもらって、一人で外国に買い付けに行って、良い結果を出すなど、けっこう成功しました。仕事はものすごく面白く、こんな面白いことをしてお給料を貰えるのだったら、こんなにいいことないと思いました。ものをメディアとして、人と繋がることの面白さ、快感もここで知りました。

人生万事、塞翁が馬。倒産、転職、そして
この店自身は上手く行っていたのですが、会社の他部門の不祥事で店は2年で倒産してしまいました。ある朝、会社に行くと、強面の人達が取り立てに来ていました。仕入れ担当でしたので、取引先は私しか知らない場合もあって責任を感じたり、また、脅迫状まがいのものも来たりで、一時はノイローゼ状態になりました。ただ、混乱の中で嬉しかったのは、倒産したその日に、仕事で知っていた西武百貨店の家庭用品部長の方から連絡があり、「御手洗さん、人生万事、塞翁が馬。すべてはあざなえる縄の如し。どうぞ、西武百貨店へ」と言っていただいたことです。当事、西武は時代の最先端を行っていて、アート的なことにも力を入れていたので、しばらくして落ち着くと西武に行くことにしました。
ところが私には癖があり、何事も最初はどうも上手く行かないのです。何回もころんで、最後に上手く行くことが多いのですが、これは運ではなくて、私のキャラクターによることだと、今なら良くわかります。つまり、私は考えなしで突っ走るので、最初はころんでしまうのですが、たやすく諦める方ではないので、最後には上手く行くというのがパターンなのです。この時も声をかけて下さった部長が異動になり、会社は私の処遇に困ってしまうという具合でした。

アルバイトの身から自分の居場所の確立へ
西武では希望して商品開発室に入ったのですが、正規社員でなく、長期アルバイトという不安定な待遇でした。面白い部署でしたが、完全な徒弟制の現場で、先輩の背中を見ながら仕事を覚える状態でした。何ヶ月たっても何も始まらないのですが、そこには大変な量の資料があり、元来、読書好きの私は、山とある雑誌を片端から読んでいました。3ヶ月くらいたった頃、アイディアが形になり、室長へ提案したのがとうり、「それでは売り場にしてください」という事で、家具とファブリックの専門家をつけてくれました。アルバイトの身なのに、ディレクターの仕事をさせてくれたのです。フレンチプロバンスのプロジェクトだったのですが、前年度比160%も売れる事もある成功で、これで、開発室での自分の居場所もでき、正社員にもなれました。それからは新しいプロジェクトを次々と提案しました。そして「世界一周して面白いものを探して来い」という事になり、一人で世界を回ったのですが、旅の後、「世界にはもう何もない。次は日本発だと思います」というリポートを出しました。ちょうどを世の中も日本回帰の気分の時で、<西武くらふと>を経て<ジャパンクリエイティブ>など、日本発プロジェクトが次々と生まれていきます。

救われた父の言葉
全て順風満帆というわけではなく、時には職場の上司との関係が難しくなることもありました。あの時よく辞めなかったと思いますが、父親に相談したところ、笑いながら、「電車と上司は次がある」と言われました。「ああ、そうか」と納得して、救われた気持ちになりました。今、皆さんの中で、上司で悩んでいる方がいらしたら、この言葉を贈りたいと思います。電車と上司は、必ず次が来るのですから、次が来るまで、じっと待てばよいのです。悩む必要などないと思います。

結婚、出産、そして専業主婦に
30歳で、母親が亡くなるとしばらく大いに落ち込みました。立ち直り始めた頃、友人の紹介で、急に話が決まり結婚することになりました。結婚しての子育てと仕事の両立など、あまり心配もせず、何も計画的に考えなかったような気がします。子どもが欲しいと思っても、いつもの私の癖で、最初は上手く行かず、流産を二回し、このままでは子どもを持つのは無理だなと思い、嘱託になりました。それまではワーカホリックで、仕事が楽しくて仕方がなかったのに、子供が欲しいと嘱託になったとたん、5時のチャイムと共に、立ち上がって、帰り支度を始めるようになったので、「御手洗さんを見ていれば時計は要らない」といわれたほどでした。子供は3人恵まれ、3人目の誕生と共に、自然に専業主婦になりました。

「恩返し」と「恩送り」
皆さんの中には、子どもを持つことを、迷われている方もいるかも知れませんが、この頃、私は「恩返し」でなく、「恩送り」という事をよく思います。とても心に響く言葉です。「恩返し」はある人に貰った恩をその人に返すことで、これはなかなか難しいこと。私も母を亡くしてしまったので、恩を母に返すことができませんでした。でも、「恩返し」でなく、「恩送り」でいいのではないかと思い至りました。「恩送り」では恩をくれた当人でなく、他の人に返せば良いのです。例えば、子育ては親の恩を子に返す「恩送り」だと思います。必ずしも自分のDNAを持った子供でなくても良いし、少し広く考えて、若い人を対象に考えてもよいと思います。日本の人は、血にこだわって、その辺を少し狭く考えすぎているのではないかと思うのです。

10年間の休業中も、仲間との飲み会だけは皆謹
子育ての間に10年間休業し、その後どうやって仕事に戻れたのかと良く聞かれます。西武に戻るのは無理だったので、自分で起業しましたが、1,2年は、何事も起らず、ことは動きませんでした。ただ、10年間の休業中、昔の仲間との飲み会だけは絶やさずに出かけていたので、細い糸だけど、社会と繋がっていたのは、このネットワークのおかげだったと思います。人と人との関係は、会社を離れても消えないという事も知りました。たとえば、職人さんや作家との付き合いは消えませんでした。そういう人たちの産地を訪ねて行って、そこから次の仕事の発端ができたこともあります。そのうち、だんだん、「また仕事を始めたの?」と声がかかるようになりました。サラリーマン時代も、フリーの時代も同じですが、大事なことは一つでいいから、まず成功することだと思います。「アレが成功した」という事で、次が繋がっていくのです。私の場合も最初の雑貨ショップの立ち上げが成功して、次が繋がったと思います。

「ナンバーワン」より「オンリーワン」
サラリーマンでも、フリーでも、競争や人間関係から、皆、ストレスとの戦いがあると思います。そんな時、私は「他の人が、やりたい、そしてできるのなら、その人がやればよい」と思うことにしています。本当に自分がやったほうが良いことは遅かれ早かれ自分に、まわってくると思うのです。傲慢に聞こえるかも知れませんが、これが私のストレスフリーのためのおまじないです。適材適所、違う言い方をすると「ナンバーワン」より「オンリーワン」。少々手垢がつきましたが、この言葉は真実だと思います。

仕事力は哲学力と持続力
哲学力という言葉が適切かどうか分からないのですが、例えば、新しいプロジェクトを始める時に、その事の背景や全貌を知っておくのは非常に重要です。俯瞰してみる能力、つまり総合力が大事なのです。そして全体を見ながら、ある専門部分は誰よりも良く熟知していることも必要です。空から見渡す鳥の目と真近からじっくりと見る虫の目がいると思います。自分も昔、紆余曲折を繰り返していた時の無駄が無駄ではなく、総合力の一助になっているかもしれないと思う時があります。今、時代は複雑系というか、ますます全てがボーダーレスになる様相を呈しています。物事を大掴みに把握する力、総合力がますます大事になってきていると思います。

最近感じることは能力にはそんなに差は無いのではということ。能力の違いはあっても、能力の高低の差というのは、それほどないのではないかと思うのです。何が差を作るかというと、「志」。若い人たちには「何になりたいか」ということより「どういう志で生きたいか」という事を大切にして欲しいと思います。ネットワークを作りたいと思う時、同じ能力の人間以上に同じ志の人間を求めるのではないでしょうか。そして、組織の中では志が高い人がリーダーになるべきだと思っています。志の高い人がリーダーの組織が良い組織でしょう。今は縦型の社会ではなく、横型の時代。横に人びとを繋ぐネットワークを作っていけば、社会を動かすことができます。そういう意味では面白い、良い時代だと思います。

そして仕事力は、持続力でもあります。ありふれた言葉ながら「継続は力なり」ということは真実です。細い糸でも繋がっていれば、昔のことも活きてきます。無駄があっても良いということと、継続は力なりということは同じことがらの裏表と言えます。

仕事を続けていると、仕事もそれなりに大きくなります。一人でできることには限りがありますから、良い仲間を持つことがとても大事です。ですから、今、望んでいることは、若い創造力にあふれた人たちと一緒に仕事をするという事です。その意味でも、今日はお仲間を紹介していただいてとても嬉しく思っています。ありがとうございました。

この後、スライドで、実際の商品開発の仕事例を多数紹介。説明割愛。

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