株式会社リクルート 阿部由紀さん
本業以外の肩書きを持ちませんか?
~週末プチ起業から始めるデュアルワークのすすめ
人生を複線化するという発想
今日は本業以外に肩書きを持つ、つまり「2足のわらじを履く」ことについてのお話です。 私は普段は会社員として働いていますが、ここ2年くらい、別の道筋をつけることにこだわり続けてきました。
ところでこんな調査があります。リクルートワークスが2006年に実施した「ワーキングパーソン調査」について、副業意向の設問があります。現在副業を持っているワーキングパーソンは6.2%と少数だが、「今後は持ちたい」を合わせると2割超。また正社員の副業意向者は30代後半と40代にやや多くみられるという結果が出ています。キャリアを積むにつれて、副業意向が高まるというのはなかなか興味深い結果だと思います。
今日お集まりの皆さんは、副業というものに少なからず関心をお持ちの方だとお察ししておりますので、私の経験がお役に立てればと思っております。
さて皆さんは、いくつの「顔」を持っていますか?おそらくは会社にお勤めの方たちが多く会社員の顔ひとつだという方が大半、あるいは本業以外にお仕事をお持ちの方がいらっしゃるかもしれませんね。今回お話ししたいのは、人生を単線ではなく、複線で歩んではいかがでしょう、というご提案です。つまり、本業以外にももうひとつの道を切り拓くことを、一緒に考えてみたいと思っています。 ちなみに私の場合は、「リクルートの社員」、「うつわの店のあるじ」、「キャリアカフェの企画運営者」という3つの顔の持ち主です。でも、つい1年前はたったひとつ、つまり会社員としての顔しかありませんでした。このあと、なぜ3つの顔を持つに至ったのか、お話をしてまいります。
キャリアストーリーと気づき
私の中学・高校時代はまさに受験勉強一色、ところがそれが嫌いというわけでもなくストイックに勉強を続けること自体が楽しいという子でした。ところが大学受験に失敗に浪人生活に突入、初めて大きな挫折感に見舞われる結果となりました。東京の予備校に入学し浪人時代が始まったのですが、予備校生生活が楽しくて楽しくて・・・。受験テクニックを教えてもらえるので模擬試験の成績はグングン上昇、一方で多くの友人に恵まれ、高校時代を超えて青春真っ盛りの楽しい時間を過ごすことができたのでした。
翌年、無事に大学に入学、外国語大学でイタリア語を専攻しました。折しも世の中はバブル時代、預かった恩恵としては、条件のよい多くのアルバイト。社会人との接点も多く、漠然と早く社会に出たいという思いを強めていました。大学4年の春、就職部で就職意識調査を行うという案内が出ていて、面白そうだから参加をしました。実は主催はリクルートだったことを当時は知らなかったのですが、それがきっかけでリクルートのリクルーターに何度か会うようになり、気がついたら内定を得ていた、というのがリクルート入社のきっかけなのです。本当は新聞社に就職希望だったのですが、あまりにもリクルートの女性社員がいきいきを働いている様が魅力的で・・・。ここなら、働くのが楽しそう、ということを直感しての選択でした。それは当たっていましたが。
さて、リクルートでは、業界としては不動産、結婚、進学、フリーペーパー、職種としては営業、広告制作、企画、管理職、プレイヤーと非常に幅広く仕事をしてきました。現在はフリーペーパーの部門で、本作りのワークフロー構築、品質基準策定とマネジメントを担当しています
就職してから10年くらいたって、気がついたら次第に周囲が早期退職制度を活用して辞めていき始めました。特に女性の場合だと、出産や休暇をとるために仕事を辞める人も多く出てきて、なんとなく自分を取り巻く様子が変わりつつありました。また、進学の部門にいたとき、中長期サイクルの仕事に関わるようになり、自分のことも長い目で見るようになりました。また、『キャリア』ということばがよく言われるようになったのもちょうど30台半ばのこの頃で、漠然と『天井感』のようなものや焦りを抱き始めました。自前でスキルアップといっても何からか手をつけていいかわかりませんでした。
また、当時業務のために取得したしキャリアカウンセラーの資格を得る途上で学んだことで、自分自身の今後のキャリア形成についてますます真剣に考えるようになりました。さらに36歳くらいのときに今のキャリアカフェのメンバーとの出会いがあって、社会と接点を持つことの意味に触れたり、社外の方たちと知り合うことで自分の視界の狭さを実感したりと、なにかと考えさせられる機会が多くあったわけです。
今の仕事に不満があるわけでもなく、さりとて転職に踏み切るほどまだ自分の専門性が研ぎ澄まされている段階でもない。では、現職を持ったままで何か自分が『好きなこと』を具体的に形にしてみるという手はないか?これが私の気づき、すなわち、デュアルワークの発想の原点でした。本業をやめのことはせず、まずは小さいサイズから事を始めることを決意しました。
改めてまとめてみると、
■ 社外との接点・パートナーシップ行動を強めたいという思い
・ ともに何かを作り出すことを通じて、スキルをつける
・ 本業への波及効果
■ 会社にすべてを依存することのリスクを認識
・ 打てる手は打つ。現職が充実しているときこそ、種を蒔いておく
■ ワークライフバランスの観点
・ これからは働きながら能力開発していくための生活バランスが大切
これが私の考える、デュアルワークの意義です。社会の中で、なにか本業のほかに腕試しをすることはたいへん重要だ、ということが言いたいことなのです。
ittokiについて
私の本業以外に取り組んでいる2つのうち、ひとつがこのittokiです。今回はどのようにittokiを立ち上げたか、実例を交えてお話しいたします。
Ittokiは週末だけオープンする自宅を使ったギャラリー、ほんの一時だけの期間限定、不定期開催としています。扱うのはうつわ。窯元を自分の足で巡り、作家と作風に惚れこんだものだけをご紹介、うつわを通じて作り手の心と使い手を結びたいと考えています。またうつわを通じて、丁寧に暮らすことの大切さを知っていただくことも合わせて伝えたいのです。
ittokiを開きたいと考えたきっかけは、唐津のある鮨屋での出来事でした。2005年冬に福岡出張の際、唐津で窯元巡りをしたのですが、ピンとこなくて。あきらめかけて昼食のために入った唐津の銀鮨で中里花子さんのうつわとの衝撃的に出会ったのです。左の写真がそのうつわ。酒器ですね。大将と女将にかけ合って、この作家との接点を作ってもらったのです。
これは第1回ittoki 中里花子展のときのリーフレットです。写真撮影、デザイン、コピーワーク、印刷・製本・・・すべて自分でやりました。
【第1回ittoki 中里花子展】
■会期/2006年3月25日(土) 11時~20時
■作家プロフィール/1972年種子島生まれ。陶芸家の父・中里隆氏に師事、主に米国で作陶。昨年より唐津に窯を構え、monohanako設立。
■作品内容/主にアメリカで製作した計43点(鉢、小皿、酒器、花器など)
■作品平均価格/1万7000円
■来場者数/29名
【第2回ittoki 小野鉄兵展】
■会期/2006年12月9日(土) 11時~19時
■作家プロフィール/佐賀県嬉野在住の急須作家。
■作品内容/計32点(急須、湯冷まし、湯呑み)、全点ittokiのためにオリジナルで焼いてもらう。
■作品平均価格/7900円
■来場者数/20名
さて、ittokiについてさらに詳しくお話しいたします。以下は中里花子展開催までの流れです。
① リサーチ・プランニング期間(2005年夏~)
・ネットショップの検討(『ネットではじめる雑貨屋さん』)→滋賀のショップオーナーとメールでやりとり。ノウハウを教えていただく。
・横浜でギャラリー開業した友人に相談。
・首都圏の気になるうつわショップを訪ね歩く。(青山・楓、西麻布・桃居、鎌倉・祥見)
→『自宅ギャラリー』という発想を得る
② 作品選定(2005年秋冬)
・関東近県、沖縄読谷村、唐津で、情報収集、窯元巡り
・中里花子の作品に出会い、惚れこむ
③ 作品仕入れ(2006年1月上)
・唐津の中里宅で作家本人と会話しながら、 43点を約2時間で選定、買い付ける。
・今後、ittokiのためにうつわを焼いてもらうことを約束いただく。
④値付け
・売値の7掛けで仕入れ。
⑤PR・集客(2006年1月~)
【リーフレット作成】
・作品全点撮影(自宅にて。ライト、デジカメ、三脚使ってすべて自分で撮影)
・デザイン、コピーライティング→DTPは従姉に依頼→印刷・製本、封筒、シール作成
【発送・広報】
・発送(クロネコメール便)、PDF添付のメール配信、手渡し、ギャラリーに置いてもらう、等
⑥運営事前準備(2006年2月~)
【包装】
・馬喰町にて、袋、包装紙、リボンなど購入。包装方法の検討
【接客用グッズ】
・お茶、お菓子、懐紙、芳名帳、領収書など
【ギャラリーのレイアウト(ディスプレイ)】
テーブルや棚(すべて有もので)、クロス(もらいもの)、値札
⑦前日準備
・釣銭用の両替、掃除、作品の陳列
⑧当日運営
・生け花(草月流師範の野嶋さんに依頼)、接客、お茶いれ、包装、包装
⑨終了後
・後片付け、収支計算、打ち上げ、お礼状送付、作家への報告
こうやって一連の流れをまとめてみるとサラリとしているように見えますが、実はいろいろとありました。ほれこんだ作家の作品について、果たして買い付けるか否かをなかなか決断できず、キャリアカフェのメンバーに相談したところ、『買うしかないよ!』と背中を押してくれる応援メッセージ。ところが今度は、作家に連絡することにたいへん躊躇。なにせ作家ですから、怖いわけです。いよいよ意を決して電話したところ、開口一番
「いいですよー」
と、アッサリ。たいへん拍子抜けしました。
それからはすべてが早く進行していきました。また、「ショップ」を運営するということについては大きなリスクが伴うものですので、私の場合は自宅が恵比寿ですので、ショップとしては絶好の立地ということも生かしました。
デュアルワークの効用について
デュアルワークをすることの効用を考えてみました。
■本業を一般化・相対化して捉えるゆとりができる
・社内の常識や流儀に流されず、一歩引いてみることができる。
■儲けを考えることよりも、やりたいことを試せる場。
・発想の幅が広がる
■行動することで新たな機会が生み出される
■新しい出会いがある
■とにかく楽しい
特に本業でつまらないことがあったとき、「ま、いいや」と受け流せる余裕ができます。また、私の場合だと、ittokiを通じて知り合った方たちはこれまでとはまったく違う世界の方たち。ソムリエ、寿司職人、レストランオーナー、ほかのうつわ作家さん・・・など。また、唐津という町が自分にとって特別な場所になりました。Ittokiを立ち上げなかったら、多分一生行くことはなかったでしょう。またこうしてキャリアカフェについては、参加者の皆さんとの出会い、会社内で知らない他事業の方からも反響をいただきました。これは本当に励みになりました。
デュアルワークをこれから始めたい方に
まずお伝えしたいのは、
“障壁だと思っても、行動してみたら実はたいした問題ではない。行動することですべては『機会』となる。”ということです。
たとえば私の場合はこうでした。
障壁1/いい作家・作品はいったいどこに?
→窯元の多い街に行き、感度の高いスポットを回っていたら見つかった!
笠間なども回ったのですが、町全体の雰囲気、食べ物、集う人たち・・・トータルで見ないと素敵なものにはなかなか出会えない、ということです。
障壁2/作家ってちょっと恐い。電話かけたら失礼?
→意外にビジネスライク、そしてフレンドリー!
作家さんが縁遠いので、怖かったのですが、実はわりと皆おしゃべりで気さくなんですね。
障壁3/時間・場所・お金はどう工面する?
→自宅・週末・小額でスタート、友人知人の力も借りる
お金についてはまずはリスクの少ない額、痛手がない範囲で、というのが大切です。
そして、大切なこととして、“デュアルワークの芽は自分の中にしか存在しない”
ということもお伝えしたいのです。私の場合、なぜittoki、なぜうつわだったのか、ということを紐解くと、原点は『食』にありました。また、広げていうと、人と人を結びつける食文化とその周辺物に対して関心が高かったのです。実際に料理人になるとか、陶芸家になるということではなく、あくまでコミュニケーションにおける食とうつわの大切さについて伝えたい、というのが私のしたいことでした。
いま、世の中はまさに“デュアルワークにフォローウィンドが吹いている”状況にあると思います。キャリアスキルを継続的に磨き続けないと乗り切っていけないのです。そのための自己研鑽ツールがデュアルワークとも言えるのではないでしょうか。
リクルートでも、最近、社員の社会貢献活動についてスポットをあてています。また、かつてこのキャリアカフェでも講義していただいた電通の白土真由美さんも、個人的動機で始めたデュアルワークがきっかけでCSRを事業化させたという実績をお持ちです。これからこのような事例がどんどん増えていくのでは、と思っています。
みなさんは、本業一本道で行きますか?それとも複線化して豊かな人生を歩みたいですか?
もし、わずかでも複線を敷きたいという思いがあれば、まずはその思いを身近の誰かに伝えて、その思いの輪をどんどん広げてみてください。
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